天才パティシエとの出会いから振り返ってみる。

2022年7月9日
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▼ 天才パティシエとの出会いから振り返ってみる
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彼との出会いは9年も前にも遡ります。

当時若干21歳の彼はごく普通の大学生でした。

彼のお父さんが僕のクライアント様と言うこともあり大学を出て建築を学ぶ彼の話を聞いてあげてくれないかと言うことで食事に行くことになりました。

彼のお父さんの年齢が僕の25個上、彼が僕の12個下、僕も学生時代10個も上の人間に人生を相談したり話を聞いてもらう人がいなかったので少しでもその役がになれたらと思いで食事に行ったことを今でも覚えています。

単身フランスに行った彼は持ち前のバイタリティーと周りがびっくりするような努力でフランス語を習得し、興味を持ったパティシエの世界に足を踏み入れる事となりました。

そんな彼が頭角を出しだしたのがフランスに渡って3年経った頃でした。

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▼ フランスでの苦労→大活躍
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彼には根性と努力を惜しまない折れない精神がありました。

フランスのあらゆる有名なパティシエに会いに行きケーキを食べ美味しい店には無償でいいから働かしてくれと

3年の間に7店舗ほど渡り歩いたようです。

今の若者にそんなハングリー精神が!!

アジア人ゆえのいじめもあったようです。彼は今でもその時の悔しさをバネに働いていると話してます。

彼がスーシェフをしていたフランスのお店が2017年にフランススイーツ界で権威あるベストオブパリというを賞を受賞しました。

その後彼は自分のキャリアを高めるためにミシュラン2つ星のホテルでチーフパティシエとして働き出しました。

そこにコロナがやってきたのです。

ホテルは稼働しなくなり彼もフランスの田舎に引っ込み、その時フランスはロックダウンの最中だった事もあり、彼は日本に帰ることを決意しました。

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▼ 日本でのブランド立ち上げ「マサヒコオズミパリ」
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父親のケーキ屋さんを手伝いながらも、自らマサヒコオズミパリというブランドを立ち上げPOPUPSHOPを各地で行いました。

そこからの活躍は、スイーツ好きの方なら知ってることだと思います。

#座布団モンブラン で検索してみてください。

それが彼の代表作です。

そんな彼が2022年6月に自分の店舗を持つことになりました。

僕の出会った私の中で1番の芸術家だと思います。

見た目はもちろん、味の組み立て方も完全に芸術なんです。

ぜひ唯一無二のスイーツを味わってみてください。

*クラウドファンディングにお金を出して支援したのですが、、、

2日前にTELが有り、レセプションのMCを急遽することになりましたw

2時間のパティーを3日間w合計8時間は喋りました、、、

その模様はYoutubeで見てください。

 

#僕のぶん回しを見て下さいw

#踊る!箱社長御殿