この物語の最初は21年も前に遡ります。
お笑い芸人になりたくて門を叩いた時にまぶしくて輝いてて10年に1人の逸材と言われた芸人がいました。それがキングコングでした。西野亮廣さんにはその時初めてお会いしました。
1期上の先輩でナインティナイン以来のスピードで芸能界を駆け上っていました。
そんな彼と対象的に家業を継ぐ事を余儀なくされた僕はその後も20年以上もの間ストーカーのように
気になる存在としてウォッチしていました。
半分はやっかみ、半分はどうなっていくのかなと言う興味で、いろんな感情が入り混じりながら彼の行動を見ていました。
ある日テレビから軸足を抜き独自の活動を始めた彼に
どんどん興味が湧いて追っかけ始めました。
その発想は当時受け入れられる事も少なく、異端児扱いされていましたその体験からできたのが
「えんとつ町のプペル」と言う作品でした。
僕にはその言葉の全て、全てを自分が体験しアウトプットしていく発信力、に引き込まれるようになりいつしか、この人と仕事がしたい!と思うようになりました。
TwitterでYouTubeで少しずつ認識されるように気づいてもらえるように
青山テルマ状態でそばにいるよ感を出し続けました。
サロンメンバーでもある私からすると西野さんの仕事のスピード感、求められているクオリティーの高さはサロン記事からでも伝わるくらい高い水準のものだと理解していましたので、
気合を入れてこの仕事をやらせて頂く事ことを決めました。
仕事を受けさせて頂いた時に僕は、自分の中で2つのルールを決めました。
①このプロジェクトに関わってくださっている皆さんの目となり、耳となり、頭となること!
コロナ禍と言うこともあり、お忙しい皆さんが現場まで来れる事はないと確信しておりましたので皆さんの目となり、立場となり現場スタッフ・職人と向き合う事にする。なるべく動画もしくは写真でその現場の状況、クオリティを見ていただくことを繰り返しました。
②仕事の時は西野亮廣を憑依させること!
矢沢永吉さんがYAZAWAならどう言うかな!?と言うように
僕も現場や仕事に対する時は常に自分の中にリトル西野亮廣さんを憑依させ
AKIHIRO NISHINOならどう言うかな!?っていうのを、常に意識して仕事と向きうことにしました。
この2つを自分の中の決め事として仕事を進めさせて頂きました。
納期は当初より3ヶ月ほど遅くなりました。
何度も何度も試作、改善、を繰り返し、納得出来る
クオリティーに合うように #箱社長・現場・職人全社員一丸となって向き合いました。
箱・パッケージと言うものは、立体で紙は生き物のようにその日の気候状態や湿気の具合なので表情状態クオリティーが変わります。
正直ホントに作ってみないとわからないとこが多々あるのです。
試作だけでもかなりの数作ったかと思います。
8ヶ月かけて色んな工程を丁寧に一つ一つ作っております。ぜひ絵本を今まで持ってる方も、持ってない方はなおさら絵本BOXをお部屋のインテリアにお買い求めいただければと思います!
にしのあきひろ絵本ボックス❶
(AKIHIRO NISHINO PICTURE BOOKS 1)
にしのあきひろ絵本ボックス❷
(AKIHIRO NISHINO PICTURE BOOKS 2)
僕らの仕事はめちゃくちゃ地味で縁の下の力持ちで、表に出ることもない仕事をしています。
そこに少しでもスポット当てていただき、大阪の片隅で #箱社長 と言う人間がいるよと言っていただけたのはほんとに嬉しかったです。
また、一緒にお仕事させて頂ければと最高です。